先週の木曜日は岩井秀人×快快『再生』を見にKAATへ。

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原案は東京デスロックの多田淳之介さん。

佐々木敦さんの著書『シチュエーションズ-「以後」をめぐって』の中で、2006年初演時の『再生』、2012年の再演『再/生』について書かれていたことから、頭の片隅に残っていた作品です。

で、今回の岩井秀人×快快版『再生』。

さまざまな音楽でひたすらへなちょこな動き(踊り)を繰り出し続ける出演者、プラスときに奇声。

これが大体30分たつごとにまた1曲目が始まって、そこから全く同じ動きを繰り返す、ってことを3回繰り返すわけですが、

私には、彼らがまるで音楽に隷属する存在に思えたというか。

この「音楽」は、現実社会に置き換えるなら、「生」かもしれないな、と。

自分の意思と関係なく、「とにかく生きねばならない」という、自分を支配する何か。どなたかがそのことを「生の呪縛」とつぶやいていたのだけど、まさに。

でも、3巡目が始まったとき、不意に胸を打たれた私。

強制的な生だろうがなんだろうが、「とにかく生きてやる!!!」みたいな境地に至ったことを、出演者の身体がまざまざと物語っていたし、

1巡目では奇声でしかなかったものが、3巡目では魂のほとばしりみたいな感じになっていて。

あの瞬間は忘れられない。涙腺、直撃。

さらに、3巡目のときは音楽が2回くらい途切れて、一人一人の存在が舞台上でむき出しになる瞬間が。

「とにかく生きてやる!!!」状態の人間は、必死だけど、その必死さは可笑しさもまとっているのだなあ。それまで静かだった客席から、笑い声がもれましたもの。

私はこの演出に、必死に生きる人間の必死さをポジティブに笑いに変換してきた、岩井さんらしさを感じた次第です。

ああ、すごく良い観劇体験だった!

(編)

 

 

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