自分的思考の遊び場で、つい2回も見に行ってしまった東方悠平個展『ガーデニング』@salon cojica。

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縮小・拡大された、いろんな景色(世界)が並置されていて、

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そのズームイン・アウトの運動が空間内で絶えず起こることの面白さと、

ポンプで循環していた水に関して、床(一番上の写真の下の方)にポツンと置かれた排水孔によって、意識の飛躍が生まれるところに、「おお!」となったり。

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↑(良い仕事してるね、排水孔…)と語りかけてしまった。

中央の石棺を見ると、動物と人間との間の循環が絶たれる事態を引き起こしている「汚染された自然」のことが思い起こされ、

そこに人工物も加わった「循環しない」世界のことを考えてしまいました。

ガーデニングは人間の手による「自然の改変」行為だと思うのだけど、本物に紛れて置かれていたフェイクグリーンは、人間を中心にしたプログラムによって最適化された世界の象徴というか。

そう言った空恐ろしさを、一見ユーモラスに表現できてしまうところが、東方さんの魅力だなあとしみじみ。

とは言え、

そんな人間中心の世界の中で、どうにもコントロールできない他の生き物の痕跡を感じさせる、ぽつねんと置かれたくるみの存在に、大層グッと来た私です。

↓中央に置かれたくるみ、わかります?

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道路の真ん中に魚が落ちてたりとか、ベランダにくるみが落ちてたりとか、突如出現して見慣れた風景に予想外の違和感を生じさせる、人間以外の生き物の落し物。

そんな、見かけると無条件に「ふふっ」となってしまう光景と接続されてて、いいなあと。

加えて

最近は人間と自然が混じり合った世界の生活や信仰みたいなことに興味関心を持っていたので、フジツボがみっしりついた発泡スチロールを見たときに

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自然と人工物が混じり合う世界、の存在にハッとしました。循環しない世界の中に生まれる、新しい風景の片鱗。この辺が、人間がいなくなったあとの世界に広がる風景なんでしょうねえ。

コンクリートと貝殻、という組み合わせにも、なぜか惹きつけられる私。

太古からの営みと現代の生活が、ゴチャーッと混じり合うからかな。ものすごい時間を超えてくる感じがあるんですよねー。

そして、「軟石くん」というキャラクターの顔がついたこの石棺。

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この石棺の中に「鎮める」ものが納まっているとして、

原子炉があるのだと思えば、あまりに大きなもの、人間の手には負えないものを鎮めるために周りに供えられた小さな「もの」たち(特にバランのささやかさ)が、人間の営みのちっささを思わせて、

それでも祈らずにいられない人間という存在が、いじらしくもあり哀しくもある。

それとは他に

鎮めるものが、あどけない外見で複雑な構造の目隠しをしつつ、ただ消費に人々を誘う「キャラクター(軟石くん)」が負わされた「欲望」だとしたら、この光景は希望のようにも思えるし、

「鎮める」行為すらキャラクター化されて、「信仰」という精神性まで商業にすり替わった、中身のない何とも悲しい未来の遺物のように思えたりもする。

ボヤーンとそんなことを考えていて、

目の前の物事をどう捉えるかで、その意味が二転三転してしまうという

誠にこの世の真実がペロンと差し出された石棺だと思った次第です。

通路に張り出されてた、タワーハガキも良かったな〜

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いろいろあるね、タワー。

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(編)

 

 

 

 

 

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