28日は舞台芸術公園での午後からの公演二つだったので、午前中は静岡市立芹沢銈介美術館へ。

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良い眺め。

着物好きとして、着てみたい作品がたくさんありました。タイポグラフィーも目に楽しい。

この日は自宅も公開されていて、美しい佇まいにうっとりしつつ。

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帰りは近所の安倍川もちのお店で一休み。

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ちょうど開店直後だったのですぐに入れたのだけど、途端に外でめっちゃ人が並び始めたので、せわしなく食べてささっとお暇。人気店なのですねえ。

ということで、いざ舞台芸術公園へ。

1作目はソウル・ファクトリー『メディアともう一人のわたし』。開演前にSPAC文芸部の大岡氏によるプレ・トークがありました。(逆光)

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大岡氏、噺家か!ってぐらいの軽妙な語り口で、王女メディアのあらすじをざっくりと解説。なるほどなるほど。

そして、いよいよ開演。

舞台上には二人のメディアがいて、

一人は夫イアソンに捨てられて、孤独で怒りに燃え、絶望して復讐を誓い、自らの幼子二人の殺害を計画する、現在のメディア。もう一人は、イアソンと名乗る若者と恋に落ち、恋のために自分が持っていたもの全てをなげうって、裏切られ、捨てられてもなお母性愛に駆られて二人の幼子を守ろうとする、内なるメディアだ。

とのこと。(演出ノートより)

個人的には、プロモ映像の1:04あたりに映っているシーン、静かな動きで表されているものが、うまく言葉にできないのだけど、とても印象的でした。

ちなみに、作品解説の中で「パンソリ」と「正歌(チョンガ)」という言葉が出てくるのですが、パンソリは「唱い手(ソリクン)と鼓手(コス)の二人だけで綴られる伝統的な声楽曲。楽譜がなく、人の口から口へ歌い継がれてきた、口承文芸のひとつ」とな。

「正歌(チョンガ)」も伝統的な声楽の一つなのはわかったのだけど、これは宮中音楽?なのかな?

なんとなく日本に置き換えると、本作はメディアを歌舞伎舞踊と現代劇をミックスさせた感じでつくったような感じでしょうか(違う?)。この辺、韓国の文化に詳しい人に聞いてみたいっす。

それにしても、女性が男性に翻弄されて自らの子どもに手をかける物語は、見るのがきつい。母性愛からくる葛藤があったとしても、それすら捻じ曲げる社会の制度というのは、案外今も変わりないのかもしれないですね。

離婚したら自動的に男性の給料から天引きされたお金が母子家庭に入り、さらに手厚い社会福祉によりプラスの手当も出て、母子が男性よりもゆとりを持って暮らしていけるような社会設計になったら、幼子に手をかけず「じゃあ私たち出て行きますんで」ってあっさりクレソンの元を去るメディアの話が成立するんじゃないでしょうか。

そおいった社会なら、女性もどんどん思い切って恋に落ちれるし、子どもができてから捨てられたところでね、相手の給料から自動的にお金が入るなら復讐心も満たされそう。

情念的な物語は、性別に起因するのではなく、社会制度に起因するのだと思うなあ。

(編)

 

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