最近、家の前の日当たりの良い場所に小さなベンチを置いて、気分転換がてら日向ぼっこをしております。

家の周りはどこも木陰で、室内もひんやりしているので、陽があたって座れる場所は地味に貴重。
玄関前の針葉樹やカツラの大木も眺められるようになって、良かったな。

そして、埋もれる我が家。

こちら↓はバス停方面の眺め。遠くに八剣山。

無事煙突の穴も開いて、家主がせっせときれいにしていたレンガの小部屋。薪ストーブをたくと、一気に1階が暖かくなるのがすごい。これで冬の凍結も、少し解消されるのかな。

ドアの向こうは裏庭。

毎日眺めていても、毎日うっとりしてしまう。
同様に、毎日眺めていても、毎日愛らしい、猫。

邪魔にならないよう端っこを使わせてもらっていたら、わざわざ乗ってくるところとか。

この日は午後になるにつれて調子が上がってきたようで、表情から少しずつヨボヨボ感がなくなっていったのも、しげしげと観察してしまった。

額も存分に吸わせてもらいつつ。

高さのある居間のテーブルにも久しぶりに乗ってきて、おお〜、と。(そしてもちろんノートの上)

夕方には元気だった頃のような表情を見せて、しみじみ写真を撮りまくりました。

体調がダイレクトに反映される表情の微細な変化も、今になって初めて知ったことの一つだなー。

↑この日も調子良さげだった。
どうですか、この輪郭。これは昨日。

この寝顔の可愛さ!

めっちゃ鮭を食べているので、なんとなくタオルも鮭にしてみたり…。

このタオル、なんで持ってるんだっけ…。取材時のお土産…?
昨日は若干緩めのウンチをくっつけてトイレから戻ってきて、それに伴い、いろいろなものの洗濯と、猫を拭いたりなんだりして1日が終わり。長毛あるある。
そして、今日はじっと耐えてる風…。
いやー、それにしても
例えば夜中に吐く音で起こされる日(2時間おきとか)が続くと、日中がとても眠く、日中は日中で猫の様子に合わせて給餌するので、なんとなく昼寝をする気にもならず。しかも、「少しでも楽にしてあげたい」と思うとなおさら性格的に手抜きもできず。
という状態の中、たまに家主がいて話したりすると、気持ち的にえらい楽に感じる自分に驚き。「一人で抱える」っていうのは、知らず知らずのうちに何かが削られているんだなあ。
あと、何かしていても猫次第で中断しちゃうわけですが、これって育児中や介護中の人からよく聞く話で、「これのことかー!」と疑似体験。常に自分の作業が細切れになるのって、自分の場合はお休み期間だから全然いいけど、「(仕事とか)やらないといけないこと」を抱えている場合は、無茶苦茶ストレスかかりそう。
育児でも介護でも、こんな感じの日々はもっと長く続くわけだから、そりゃー「全部自分で」は非常にオススメできない。
し、
猫の場合は、やるだけのことをやった今の段階になって、私もようやく「手を抜く」ことを自分に許せるようになったけど、同様に育児や介護も、「手を抜く、他人にお願いする」ってことが、長期間その相手と並走するために大事なんだろうなあ。
でも「全部自分できめ細かにやらないと気が済まない」という心理も、よくわかる…。
そんなときでも、ちょっとしたことを話せる相手がいるかどうかでだいぶ違うので、自分がそういう話し相手を確保することも大事だけど、人のそういう話をただひたすら聞くってことも大事にしたいなと思った次第。
他愛ない世間話でもリアルな困った話でも、「人の話を聞く」ことは、意外とその相手を救ってることがあるのかも。
あ、お山は今日とても晴れてて湿度も低かったのが、先ほど突然暗くなって寒くなって雷と雨がドバー。部屋の湿度も一気に10%以上上がってました。びっくり。
※お山関係のまとめ読みはこちらからどうぞ。
(編)

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