Koko Brown『Grey』を、来年リニューアルオープンするブリクストンの劇場のオンラインで。

ブリクストンはアフリカ系・カリブ系の住民が多いエリアとな。

Koko Brownはジャマイカとアイルランドにルーツを持つアーティストで、モノローグとライブ・ボーカル・ルーピングを合わせたスタイルが格好良い…。

「私は強くて独立した黒人女性で、良い人生を送っている。でも、いつも悲しい」と歌うBrown。

今や3億5000万もの人が鬱に苦しみながら、治療を受けられるのは、その中のほんの3分の1。さらに黒人の場合は、治療を受けられる確率が非常に少ないこと。黒人が日常的に受けるカジュアルな偏見や「強くて独立した黒人女性」という固定観念から起こる診断ミスなど、黒人と鬱を取り巻く様々な要素が音楽的に語られて、聴き入ってしまった。

“How am I supposed to live in this body that’s trying to kill me.” という部分が、特に印象的だったなあ。

続いて

久しぶりのシアターキノで、ドキュメンタリー映画『ダンシングホームレス』。

全ての人に寝る場所が与えられるような社会になってほしい…という想いを常に抱えながらの鑑賞でしたが、路上生活経験者の身体の感覚に魅せられて彼らと作品をつくり続けるアオキ氏と、踊ることを選んだ人たちの背景が伝わってきて、「踊ること」の本質的な意味みたいなことをぼんやりと考えつつ。

その人の「背景」を語るのは、こういう映画や活字の役割で、ダンスを見るときは、自分の場合あくまで一人の歴史が詰まった身体が全てで。

この映画を見ていて、ではプロフェッショナルとされるスキルを持たない「一人の人間のありのままの身体を、背景(その人の物語と言ってもいい)なしに見続けることは可能か」ということを改めて思ったのですが、それはつまり、自分そのものを見ることと同じなんじゃないかなと。

コミュニティダンスと呼ばれる作品を見ているときに感じる雑念というか、目の前の踊りに没頭できない理由って、自分の場合、そこに自分の姿を見てしまうからなのかもしれません。

ありのままゆえの滑稽さや無様さ、真摯な中に漏れ出る「できなさ」(※これらをそのように受け止めてしまうこと自体が固定観念的なのだけど)は、自分がさらけ出すことを恐れているものでもあって、そういう自分でもいいと認められないうちは、素直に見れないのかもしれないな…。

でも、新人Hソリケッサ!の『日々荒野』は、素晴らしい作品でした。あの音楽がまたすごいんだよなー。

続いて

CAI02で『端聡 平面作品展』。

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端さんの平面作品に残る作品以前の部分、日々の実験部分が好きだなあ。

自動書記現象とか、なぜか好きで描いてしまう形と宗教で語られることが結びついたりとか、作りたい装置のスケッチとか、いろいろお話を聞けて楽しかったです。

あとはー

映画と展示目当てで1カ月ぶりに街中へ出たついでに、玉翠園にも。

店頭にはその時々で三人の男性のどなたかが立ってて、それぞれの接客(茶の勧め方や説明の仕方)に個性があって面白いのですが、昨日はハキハキ即答系男前ヤング。彼とのんびり話したのは地味に初めてかも…これまた楽しかったっす。

ちなみに、お茶屋さんなのに店先でタバコと切手を売ってるのは、コンビニがなかった時代の名残だそうです。へ〜

そして、(お山暮らしのせいもあって全く)慣れないマスク。

予防関連の記事はマメに目を通して専門家の意見をチェックしつつ、基本的に外を歩くときや自転車に乗ってるときは暑いし息苦しいしで外して、公共交通機関や店内では着用する、ということにしているのですが。

でも街中の場合、ちょいちょいお店に入ったり、人と話したり、その度に正しい扱い方でマスクを着用することの面倒くささはありますねえ。うっかり付けるのを忘れたりとか。

そう考えるとつけっぱが楽なのだろうけど…街中暮らしは大変だな…。

(編)

 

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