木曜日のことになりますが、劇団アトリエの『The Dream Diver』を見てまいりました。
今まで数回彼らの作品を見てきて、いろいろなスタイルを吸収しながら出せるものを着実に増やしている印象を持っていたもので、今回はどういう形なのかなと楽しみにしていたのです。
さて、本作品。あらすじはこちらを参照して頂くとして…
勝手な自分の解釈ですが、今回は「作品と観客を情緒的に結び合わせることを、いかにコントロールするか」みたいな捉えだったのではないかな、と。
で、その結び合わせ方にひとひねり加えていた点に、面白さを感じた次第です。
少し説明しますと、
前半は仰々しい演技だったり、物語に没入しそうなタイミングで役者が客席に話しかけたりするなど、実に慎重に感情移入を妨げていたというか、
物語の進行を、距離を置いたところから眺めることを促すような、突き放しのサインがあったのですね。
(冷めさせる役割もある笑いのシーンは、単純に面白かった)
後半は一転、感情を高める伝統的な手法(例えば感動的な音楽や照明)が存分に使われ、舞台上にも感情がほとばしり、台詞にも聞き入ってしまうものがあり。
先に「ひとひねり」と言ったのは、こういう受け手の感情の流れが、登場人物の心理と絶妙にリンクしていたのではないかと思ったからであります。
冒頭、神であるプラネテスは「人間界のドラマを見るのは楽しい」というような話をします。
死が永遠に訪れない彼らにとって、人間のドラマを鑑賞することは格好の暇つぶしなのです。
「神は決して人間を幸せにはできない」という台詞からも、眺める側であるプラネテスが、人間との間に距離を置いているのが伝わります。
が、
そうは言っても
光や音楽が溢れる場所に佇む人間はなかなかに美しく、時にはなかなかに醜く。
終盤、人間(柴田知佳さん)の苦悩する姿には、やはり心動かされるものがあり。
そうして最後は、ついドラマに没入してしまったことを茶化すかのように、プラネテスは「今回のドラマもなかなか楽しかった」と話しながら去っていきます。(←うろ覚え)
私はこの台詞を聞いたときに、自分の目線とプラネテスの目線が同じであったのではないか?と思ったのでした。
ふむ。(つくり手の本当のところの狙いはどうかわかりませんけれども…)
(編)

 

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