昨夜はチェルフィッチュ『地面と床』を観にコンカリーニョへ。

初演を観た際にも印象的だった音楽、が、なぜ印象的なのかというと、

登場人物(役者)の感情を表現するための音楽ではなく、音楽そのものがもう一人の登場人物のように存在しているからで。

「役者と音楽が対等」というのは、そういうことなのかもな、と思いました。

「死者と生者の対立」ということで言うと、昨夜はふと、「今自分が話している日本語も、死者が作った言葉なのだなー」と。

土地も言葉も、言葉から規定される(日本的な?)思考回路も、すべて死者が作ったものの上に成り立っていて、

これから生まれてくる子どものために日本を出て行こうとしている遥は、そういったものを「私たちをこの場に引き留めようとするベタッとしたもの」と表現。

でも、死者(劇中では幽霊として存在)や「生きているのに死んでいるようなもの」を切り捨てようとしている彼女も、日本語に対してはつながりを断とうとはしていないというか、

そのことに対して困惑しているように感じたのでした。

自分には、先祖代々受け継がれてきた土地とか歴史のようなものは特にないので、そういったものからは自由なのだけど、

もし、どこか外国に移住して日本語を全く話さなくなって、日本語を忘れてしまったとしたら、自分の内面にどういったことが起こるのか、どんな影響があるのか全く想像できない。

日本語を失うと仮定した時にうっすら不安を覚える、自分自身の存在の揺らぎみたいなことが、人によっては土地や家でも同じことなのかもしれないな。

あと、遥の言う「ベタッとしたもの」は、自分にとってもわりかし「ベタッとしたもの」なのだけど、それに守られていることも重々自覚しており。

「じゃあ、どちらを取ることが幸せなのか?」と考えると、結構わからない。

全然話変わりますけど、

今回のツアーでは、同時期にツアーを行う岡崎藝術座とチェルフィッチュの作品を観劇するとその場で200円チャージバックキャンペーンを実施しており、(詳しくはこちらを)

岡崎藝術座のキャンペーン対象公演『+51 アビアシオン, サンボルハ』は、7月にシアターZOOで札幌公演あり。

で、昨夜のアフタートークの場で、札幌でも「両カンパニーの観劇で200円チャージバックキャンペーン」を実施することに決定。(パチパチパチ)

チェルフィッチュ『地面と床』を観た方は、半券なくさずに取っておいてくださいまし。

岡崎藝術座の公演も楽しみだな。

(編)

 

 

 

 

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