iaku『粛々と運針』をシアターZOOで見てきました。

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iakuの作品を見るのは、『人の気も知らないで』『Walk in closet』に続いて3作目。

死期が近づいた母親から尊厳死を望むことを告げられた兄弟と、念願の一戸建てに暮らし、夫はむち打ち症&妻は生理が遅れ中という状況の夫婦のお話。

前者の方、フリーター(コンビニ勤続20年)の長男は母親と同居しており、治療を尽くせばあと2、3年は生きられると主張。弟に、その間に母親の唯一の望みでもある孫の顔を見せてあげてほしいと頼みます。

一方の弟(会社員、妻と二人暮らし)は、母親自身が望まない延命には賛成できず、かつ自分たち夫婦は子どもはつくらない方針と説明。(ちなみに後半、なぜつくらないのか、妻の身体的な事情が明かされる。)

後者の方、夫婦は子どもをつくらない約束で結婚しており、妻の「もしかしたら妊娠したかも」話から、堕ろす、産むの話し合いに。

舞台上には、この2組の他に布を縫う女性が2人いて、彼女たちは桜についての会話を時折交わします。

ということで、3組のやり取りが交互に動いていくのですが、だんだんこの3組が交差するようになり、布を縫う女性それぞれが誰なのかがわかっていくという。

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尊厳死や中絶というトピックには、命は誰のものか?という問いがあるし、

今なら「子どもを産む、産まないは誰が決めるのか?(社会?夫婦?政府?)」というトピックも、かなり自分ごとな人が多そう。

でも

私が一番響いたのは、むち打ちな夫が「子どもを産んでほしい」と思ってしまった理由に自分で思い至った、「ある弱さの告白」でした。

どんなに夫婦として長い時間一緒にいても、お互いの「弱さ」にきちんと向き合う機会って、平常運転時はそんなにないし、大抵そういう部分は危機的な状況に陥った時に露見して、それを乗り越える二人もいれば、そのままダメになる二人もあるわけだけど。

弱さを打ち明けても、それでも一緒にいようと思ってくれる人がいることは、なんて幸せなことなのだろうって思うし、あの二人の場合実は妊娠してなかったとしても、あそこから二人のシーズン2が始まるのだろうなあ。(シーズン、とか、アメリカのドラマシリーズ的語彙)

そして、彼が発した「何者にもなれない自分でも、父親にはなれる」という言葉からは、「何者かになることを求められる社会」における、上昇志向盲目問題を思ってしまいました。

「何者か」を「やりたいことをする自分」に置き換えると、つまり、自分の今の状態でもあるのだけど。

その「やりたいこと」がわからなくて、そのわからないものを求めるが故に、足元の幸せに満足できない病は、どうしたらいいのだろうか。青い鳥問題ですよ、青い鳥!

これって、物語が生まれてから何度も語られてきたテーマだけど、やっぱり、そうやってないものを探しているうちは「本当の幸せ」は手に入らないのだろうか。

私は、人を愛して、愛される、ということと、自分が望む生き方、との折り合いが、まだうまく見つけられておりません。

という、なんともな告白で突然終わる。

(編)

 

 

 

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