hitaruで2月11日に上演された『PRIMITIVE』。

画像引用元 https://www.facebook.com/primitivesapporo/

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「primitive(根源、始まり)というコンセプトの元、ダンサー、合唱団、歌手、ギタリスト、縄文太鼓奏者など総勢200人以上の出演者と実験的な美術、映像、照明による先進的な札幌オリジナル舞台」とのことで、
なんと
演出
端 聡(美術、グラフィック、シナリオ)
畠中 秀幸(クラシック音楽プロデュース)
大島 慶太郎(映像制作、映像プロデュース)
森嶋 拓(ダンスプロデュース)
木野 哲也(現代曲音楽プロデュース)
というように演出が5人もいて(当日パンフには演出ではなく「制作陣」となってた)、ダンス、演奏、歌/コーラスにもさまざまな団体が参加。
これは…一体どんな感じになってるのかな?と全然想像つかないまま、初hitaruとなりました。
以下、
・自分の感想、「演出」方法に相違があるのではという仮説、たまたま目にした見知らぬ人の真逆の感想。
・そこから派生して、つい考えてしまった「共生の方法(※)」「多様性ってポジティブなことなのか?」について。
・先週末に仕入れたほやほやの思想「プラグマティズム」と関連して、試みとしての良さ。
を書こうと思います。このブログ史上最高の長さです!
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★まず自分の感想から。
もうこれは何と言っても、吊物機構が主役ではないかってぐらい、マシーン感が超絶格好良かったプロローグ!
巨大スクリーン(24.8×16m)に映る大島慶太郎さんによるハイパークールな映像をバックに、美術バトンが降りた状態からウィーンとダンサーたちを吊るしていき、「え?」「え?」と思った瞬間に一斉にドサッと落下。ダンサーたちは、もがくように宙に向かって手足を動かし続け、
次の瞬間にはライトバトンがウィーンと降りてきて、その上に乗ったダンサーが照明をグルングルンと乱射。
昇降音すら格好良く響いてくるほどで、マシーンが支配する宇宙というか近未来というか…さらに吊物機構越しに見える、鉄のシルエットでバッキバキに分割されたスクリーンに、大島さんの映像が超ソリッドに切り込み、それらと人間の身体との対比も素晴らしい…!

そのあとに続くクラブシーン(第1章)。
個人的には昨年10月に見たジゼル・ヴィエンヌ『CROWD』がフラッシュバック。自分の心象風景としてのクラブは、ジゼル・ヴィエンヌのスローモーションの方がしっくり来るかなー。
PRIMITIVEで現出した光景も、つくった人たちの感覚にフィットしてる感。そのあとに続くダンサーがひたすら歩き続けるシーンも、いつまでも見ていられる面白さがありました。「身体」と「歩く行為」の奥深さ。
そして第2、3章。男声合唱団ススキーノの方々の多様な身体が舞台上にあって、ここも素晴らしく舞台作品だったなあ。
というのは、彼らが舞台に座り、上田元市長の歌う「恋の町 札幌」に耳を傾ける姿から、一人一人の人生が立ち上がっているような感覚があったから。
多分、彼らのコンサートを普通に聴きに行ったとして、こおいう感覚って自分に起こらなかったと思うんです。
彼らの佇まいから積み重ねてきた年月が染み出るような魔法が、何かあの時間にはあった気がしていて、それはつまり舞台の魔法だったんじゃないかなー。
※舞台写真がPRIMITIVEのFBに何枚か上がっていたので、気になった方はこちらもチェック!
そして4章。
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★4章に対する自分の受け止め方と、たまたま目にした見知らぬ人の真逆の感想から、コンサートと舞台作品の演出方法に相違があるのでは?と思ったわけです。
4章は縄文太鼓、チェンバロ(ゴールドベルク変奏曲が聴けて嬉しい…)、ピアノ、吹奏楽の演奏によって構成されており、個々の演奏はとても素晴らしかったのです。
でも、舞台作品の流れで見てきた自分には、それらの音楽が、作品世界の血肉になっているようには感じられなかった。つまり、例えば、「第1部は舞台作品、休憩15分を挟んで第2部はコンサートです」というプログラムの流れでも十分良かったような、そおいうあり方。
4章も含めて一つの「PRIMITIVE」という舞台作品、とするなら、やっぱり舞台作品に仕上げるための演出が必要なのでは…なんてことを考えててふと思ったのですけど、
コンサートなら、一つのテーマに伴ういくつかの曲を、昨夜の4章のような形で順々に発表していくことに何の違和感もないわけで。
でも、同じ状況を「舞台作品」という流れで見ると、微妙に「(ダンス教室などの)発表会」のような見え方になってしまうなあ、という思いも。
コンサートの演出を舞台作品にそのまま接続するとしたら、それを逆手にとるような設定が必要だったのかもしれないなあ、と。この辺、皆さん、どう思います?
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★そして、自分が超絶格好良いと思ったプロローグから主に2章までが「耐えられなくて」、逆に「4章があったから救いだった」という感想を目にし、これがまた興味深いというか…
つい「共生の方法」とか「多様性ってポジティブなことなのか?」ってことを考えてしまいました。
自分と全く異なる価値観のものに触れた時のストレス具合が、その感想からは伝わってきたし、(でも、その人が不快に思ったとしても、それを面白がる人間も一方で存在するってことに全然思いが至ってないのは、ちょっと想像力が足りてないとも思った。)
別で見かけた「何も一緒にやらなくていいんじゃ…」という感想にも納得するのであります。それこそ、「第1部は舞台作品、休憩15分を挟んで第2部はコンサートです」というプログラムでも良かったのでは、と。
これだって、反応として全く自然。
別に私も、例えば「プロローグが耐えられなかった」と思う人に対して、「あの良さがわからないのか!」とは全く言う気もありません。耐えられない理由も書いてたし、そうなんだ、と。
そう考えると、「共生の方法」として、異なるものが同じ場所に無理をして一緒にいる必要はないし、むしろ離れていた方がいいんじゃない?お互いに理解し合おうと思う必要なんてなくない?とも思う。

我関せずでいた方が、まあ、ストレスなく平穏でいいのでは、とも思うんですよね。多様性を認めるって、超ストレスじゃん。みたいな。
でも、プロローグみたいな世界を面白いと思う観客、ダンスが好きな観客、演奏や歌声をhitaruの空間でじっくり聴きたい観客、抽象的なものより具体的な物語のあるエンターテイメントが好きという観客、などなど、
普段ならクロスすることのない人たちが、世代を超えて、とりあえずhitaruという同じ空間に集まり、(さまざまなあり方の)芸術に浸る試みが、悪いことだとは思えない。
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★ここで、先週末に仕入れたほやほやの思想「プラグマティズム」と関連して、試みとしての良さ。です。
「プラグマティズム」って、「結果が良ければいいじゃん」という実用主義の考え方だと思ってたのですが、政治思想史・政治哲学が専門の宇野重規さんのトークを先週末に聞く機会があり、そこでプラグマティズムについて以下のように説明されていたのです。
「人間はここぞという時に判断できない。迷ってしまう。全て信じられないと思うと、行動できなくなる。でも、正解はわからない。なので、暫定的にこれは正しいと仮定して、行動してみる。うまくいったら、とりあえずこれは正しいとする。でも絶対的に正しいとは言えないから、また、試してみる。つまり、プラグマティズムとは迷いの哲学。絶対的に信じるものがない時代の哲学」なのだそうな。
宇野さん曰く「責任を取れる範囲で、実験していくのがベスト」だそうです。プラグマティズム、まさに今必要な考え方じゃないですか。
で、これを「PRIMITIVE」と関連して考えるとですよ。普段ならクロスすることのない芸術的嗜好性を持つ人たちが、世代を超えて、とりあえずhitaruという同じ空間に集まり、(さまざまなあり方の)芸術に浸るための「作品の正解」なんてわからないわけです。誰にも。
でも、つくり手たちは、暫定的にこれは正しい(という風には捉えてないと思うけど)と仮定して行動した。
行動を起こさなかったら、あの「集まりの場」もなかったわけですし、人によっては惹かれたのが作品のほんの一部だとしても、一応その一瞬との出会いはもたらされた。
 

考えると、「PRIMITIVE」は試みとしてなかなかに良かったんじゃないかなーと。プラグマティズムの考え方で。何より、hitaruみたいな劇場空間で実験させてもらえるなんて、札幌市民だからこその特権というか、そうないですよねえ。
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全然話変わりますが
4章の冒頭、縄文太鼓の人たちもライトバトンでドドンドドンと打ち鳴らしながらウィーンと降りてきて、横でダンサーが照明をまた狂ったように乱射する図も見てみたかったなーと思ったりしてました。
私、すっかりライトバトンのファンです。hitaruの舞台機構ツアーとかがあったら、絶対参加したい。
という感じで終わり。
※共生の方法:
ユネスコの文化的多様性に関する世界宣言の中に、”文化とは、特定の社会または社会集団に特有の、精神的、物質的、知的、感情的特徴をあわせたものであり、また、文化とは、芸術・文学だけではなく、生活様式、共生の方法、価値観、伝統及び信仰も含むものである”という一節があり、ウイマム文化芸術プロジェクトのパブリック・ミーティングのテーマとなった言葉なもので、最近はしょっ中このことについて考えてます。
(編)

 

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