今年2回目の遠出は、11月以来の東京。定宿の東京ひかりゲストハウスはお休み中だったので、今回はお初のBUNKA HOSTEL TOKYOに泊まってみました。交通アクセスの良さと周辺の食環境はさすがに充実。

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↑到着日の夜は、近所にあったハンバーグの店「モンブラン」で。通りがかりに見つけて入ったのだけど、人気店だったのですねー。お腹いっぱいっす。

(でも私は、自分好みのコーヒーが飲めるカフェが近くにあって、自然光がたっぷり入る共有スペースがあって、かつそこで仕事もしやすくて、程よくこじんまりしてるひかりゲストハウスが好き。)

翌日は、ちょうど浅草ということで、今月末で閉館してしまうアミューズミュージアムへ。

まずは「重要有形民俗文化財~田中忠三郎コレクション~特別企画展」の『南部さしこ展』から。

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女性用のももひき「タッツケ」。

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「下半身全体を鮮やかな刺し子模様で飾ってある仕事着は、青森県の南部地方に独特なもので、世界的にも例がない。」とのこと。

そして、『美しいぼろ布展 〜都築響一が見たBORO〜』

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「粗末なぼろ布に現れた思いがけない美の世界。消費文化の対極のアート」。

以下、少し長いのですが展示挨拶文から引用します。全文はこちらから

寒冷地である青森では綿花の栽培ができず(綿花の育つ北限は福島県あたりといわれている)、農漁民の日常衣料は麻を栽培して織った麻布だった。現在の青森県は江戸時代、津軽藩領と南部藩領に二分されていたが、どちらの藩においても絹織物は一部特権階級のものだったし、寒冷地であるにもかかわらず(青森市は全国の県庁所在地のうちで、もっとも積雪量の多い都市である)、藩政時代を通じて農民が木綿を着用することを禁じていた。したがって田畑での作業着から、赤ん坊のおしめ、長い冬の夜を過ごす布団まで、農民の身につけるものはすべて、麻布のみで賄う時代が長く続いたのである。1枚の麻布で寒すぎれば、何枚でも重ねていく。枚数を重ねれば防寒性が増すし、糸を刺していけば丈夫になる。傷んで穴が空けば小布でつくろい、また布と布のあいだに麻屑を入れて温かくする。そうした厳しい生活環境から生まれたサバイバルのかたち、それがこぎんであり菱刺しであり、ぼろなのだ。

南部地方の農山村で、冬の夜に家族が裸で被って寝たという「ドンジャ」。

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重さ14キロ。めっちゃずっしりしてました。

板張りの床に藁を敷いて、布を継ぎ足したボロを敷いて、1枚のドンジャに家族3人くらいがくるまって寝たそうです。裸になるのはお互いの体温で暖をとるため。ひゃー

これは、確か男性が作って女性に贈るコートだったかな。

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こおいう↓ちょっとしたディテールも可愛い。

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展示されてた文章のどれもこれもが印象的だったもので、田中忠三郎さんの『物には心がある。』も購入。

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読むぞー。

展示、とてもオススメです。今月末までに東京へ行く予定のある方は、ぜひ。

(編)

 

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