小泉明郎『縛られたプロメテウス』に続いて、夜は市原佐都子(Q)『バッコスの信女 -ホルスタインの雌』を。

以前から見たい見たいと思っていた市原佐都子(Q)作品、初観劇。

美術展示をほぼ見終わった後の観劇だったので、それまで見た作品といろいろリンクさせながら、目の前で起こることに圧倒されつつ(口を開けたまま見入ってしまった)

そこで放たれる言葉が、まるで自分から出てきた言葉のように感じられて、とても清々しかったというか。よくぞこの言葉を発見してくれました、みたいな。演劇を見てこんな感覚を持ったのは、初めてのことだったなあ。

そして

円頓寺会場で見たキュンチョメの《声枯れるまで》に出てきた人も「男性ホルモンを投与していくとクリトリスが少し大きくなって、小さなペニスみたいになる」と話していたけど、

つまり、ヒトの原型は女性で、これにY染色体や男性ホルモンが働くと男性へと誘導されていくわけですが(性線は、Y染色体の働きがあると精巣に、働きがないと卵巣に分化。さらに、精巣から分泌される男性ホルモンが働くと、外性器はペニスや陰嚢に、働かないとクリトリスや陰唇になる)

川村美紀子さん演じる、人工授精で生まれたウシと人間のハーフも「これは大きなクリトリスです」って言ってて、なんていうか、「女性でも男性でも、その中間でいることを望むのも、どちらにも固定しないことを望むのも、本人の好きにさせればいいじゃん。もともとクリトリスが小さいか大きいか、ぐらいの違いしかないんだから」みたいな気持ちに。

話戻り。

兵藤公美さん演じる主婦は元家畜人工授精師で、自分がこれまで数々の雌牛を人工授精により妊娠させてきたことを「そのおかげで多くの人間が、牛肉も牛乳も得られるわけだから、感謝されるべきでしょう」と言うんですね。(=人間中心主義)

続くモノローグでは、ハプニング・バーで自分と似た外見の女性と出会い、同性とのセックスを初体験した時のことを「柔らかい肌に触れて手が喜ぶ体験だった」と話していて。

この時の相手を求めて再度訪れたハプバーで、自分より若い女の子とすることになり、彼女を欲望する周囲の男性陣の目線と同化するように自分の中にイメージとしてつくられた「男性性」に縛られてしまったため、相手の女性から「ちっとも良くなかった」と切り捨てられるわけです。

「男性性」(=男性中心的なもの)に縛られてしまったために快楽を得ることができなかった、このエピソードは、もう、何かを中心にすえた見方や考え方から脱却する時期が来た、ってことを示唆しているようで興味深かったというか。

クリトリスとペニスの境目も、人間と動物の境目も、ないものとして考えてしまったら。ただひたすらに「生き物」対「生き物」としてフラットに世界を見たら、生命や性に関わるいろんな問題に対する、より良き向き合い方を見出せるような。

ひどくいかれた、でも痛快な、ものすごいエネルギーに満ちた、『バッコスの信女 -ホルスタインの雌』。

全然頭がまとまらないけど、めっちゃ刺激的な演劇体験でした。

(編)

 

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