まだ読み始めたばかりなのですが、篠原雅武『人間ならざるものの環境哲学 複数性のエコロジー』が、お山との二拠点生活以降の自分の考え方に結構フィットする部分が多く、面白いです。
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著者が思想家のティモシー・モートンと会って話す中で感じた、「人間ならざるものとの連帯、さらには人間性の問い直しへと拡がりつつある」エコロジー思考。
の基本には
「グローバル資本主義、地球温暖化、フォビア、憎悪の高まりの中に巻き込まれていく中、着実に蝕まれ、荒みつつある人間性の危機への問いが、人間の意識、経験、世界像といった近代的な概念枠を参照するのとは別のやり方で求められているという洞察」があると。
私たちが生きているところは、さまざまなもの(人工物、自然、動物、昆虫といったあらゆるもの)との相互連関によって成り立つ環境世界であり、自身の身体と感覚を通じてその場所との関係について考えていくことが求められる、と著者は言います。
全然整理できてないので、本書については読み終えた時点で改めて書きたいと思うのですが、「連関」という言葉とモートンの環境哲学が頭にある状態でウンゲツィーファ『動く物』を見て、
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何かこの作品には、モートンのエコロジー思考に引きつけて、じっくり考えてみたい思考のタネがあるような感覚があったのでした。
今後この本を読みながら、あの公演を思い返すようにしたいっす。
それにしても、私の普段の生活の中には、(主に匂いの面で)あんなに濃密な人の気配に満ちた狭い空間に身を置くことは全くないので、そういった状況での観劇はかなり忍耐を求められる時間でもありました…。
最後の方で窓が開けられた時、心底ホッとしちゃったもんな。
ちなみに、お山ではなく街中の家にいるときも、換気扇付近からガサガサという音がしたり、薄い壁一枚隔てたところに生えている木に集まる鳥の声を聴いたり、他の生き物の存在を感じると気持ちが楽になって良い。
(編)

 

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