現代思想「フェミニズムの現在」、読了。

IMG_2471

いやー、久しぶりに、数日かけてじっくり読みました。ポスト・フェミニズム、第三波フェミニズム、インターセクショナリティ(交差点性)などなど、新出語彙多数。

難しい論考もあったけど、以下自分メモ。めっちゃ長い!

————-

分断と対峙し、連帯を模索する――日本のフェミニズムとネオリベラリズム / 菊地夏野+河野真太郎+田中東子

からは、「自分の快楽を突き詰めることと、社会的公正のために何かすることを一人の人間のなかで矛盾せず両立させることは可能なはず」という言葉に同意。最近、某知人の影響もあって「行動を起こす」ことをもっと構えずにやってかないとなーと思ってたことの、背中を押された感。

フラワーデモ、行こう。

 

インターセクショナル・フェミニズムから/へ / 藤高和輝

インターセクショナリティとは、「差別の複層性・交差性を考えるために、その「交差点」を生きてきた様々な当事者から生まれた概念」とな。

性差別にしろ人種差別にしろ、セクシャル・マイノリティに対する差別にしろ、それらの差別を別々に切り離して理解しようとすると、それらの交差点を生きる人たちの実存を抹消してしまうことに言及。

そして、「白人中産階級の異性愛女性」を中心としたフェミニズムに対して、有色人種の女性や第三世界の女性、あるいはセクシャル・マイノリティがインターセクショナルな現実を訴えてきたのは、異議を申し立てるためだけではなく、フェミニストとして「出会い直すため」という指摘が良いなと。

異議申し立ては「お互いが出会い直すことにもつながる」という考え方は、「分断」とかすぐ言っちゃうより何倍もいい。

 

波を読む――第四波フェミニズムと大衆文化 / 北村紗衣

この論考では、

「人種、階級、性的指向、ジェンダーアイデンティティ、年齢、障害など多数の要因が差別を形作っていることを認識する必要性」を説くインターセクショナリティを重視しているのが、第四波フェミニズムと解説。

#MeTooなどSNSをはじめとするウェブの活用が特徴で、オンライン発の草の根政治運動という点で#KuTooも取り上げられてました。そこから、セレブリティフェミニストのこととか。

 

私たちを締め出さない物語 / ヤマシタトモコ 聞き手=岩川ありさ

ここで寄り道。ヤマシタトモコさんの『違国日記』を拝読。

7103dcNlxqL

インタビュー中に出てきた本作。そこで語られることを、家にいながらすぐ確かめられるという…便利な世の中になりましたねえ。(相変わらず電子コミックに散財中)

インタビューの最後にヤマシタさんが

自分の中に差別心がないとは絶対に言いきれない。でもそういう自分を知っているかどうかは割と大きいことなのかなと。自分がいつでも他人に暴力を振るえるということに気づいていなくてはいけないと思っていて(略)人に向かって拳を振り下ろすことも、誰かに手を差し伸べることも、決して小さなことではない。一円だって、百人が募金すれば百円だし、小石だって百人が投げれば岩になる。その自覚が、差別に加担したくないとか、誰かの力になりたいというところにつながる地盤なのではないかと思います。

と話していて、心から共感した次第。

 

現代の少女マンガとフェミニズム / トミヤマユキコ

この論考では、以前チラ見したことのある『さよならミニスカート』や『1122』が登場。分析、興味深い。

 

「ギャル(文化)」と「正義」と「エンパワメント」――『GALS!』に憧れたすべてのギャルへ / 関根麻里恵

ここでは『GALS!』が紹介されていて、これもちょっと寄り道してみたのですけど、これが1998〜2002年まで『りぼん』で連載されていたのですねー。ちなみに私のりぼんと言えば、『ときめきトゥナイト』『お父さんは心配性』『星の瞳のシルエット』かな。懐かしい。

 

恐怖のフェミニズム――「ポストフェミニズム」ホラー映画論 / 鷲谷花

ここでも寄り道。現代ホラー映画における「ポストフェミニズム」的世界の恐怖、という章で紹介されていた、ルカ・グァダーニ監督『サスペリア』。

もう一つ、先日見た『ヘレディタリー / 継承』も取り上げられていて、思わぬところで作品と再会。

「ホラー映画とは、性的差異と権力の関係から生じる恐怖を扱うことで、「文化的な問題解決方法」を探るジャンル」という言葉に、へー。

この2作が表象する「フェミニズムについてのホラー」に、以前、某男性アーティストとなかなかの議論になったトピックを思い出しました。また話したいかも。

 

二〇一〇年代ファッショナブル・フェミニズムの到達点と今後の展望――ポストフェミニストと新しいフェミニストの対立を越えて / 高橋幸

これは頷きどころが多かった…。

女性を女性ステレオタイプに基づいて褒める行動が、性差別に相当するのではないかと指摘したのが「好意的セクシズム」とのことで、例として挙がっていたのが、女性は男性よりも共感的、子育てに向いている、女性は男性より美しい、など。

で、これの問題点は、「女性を女性として褒めることで、暗黙のうちに話者の女性への役割期待を伝えるものとなっている点」なのだけど、「純粋な褒め言葉として受け取るべき」「自分は問題だと思わない」という女性もいると。そおいう女性にとっては、「男性から女性として扱われ、褒められることは、なんら不快なことではない」ことなので。

で、下の考察。

すなわち、ロマンティックな関係になることを志向している相手(男性でも女性でも)に女性として褒められることは不快ではないが、仕事関係者などのロマンティックな関係性ではない相手から女性として褒められ、女性役割を期待されることが深刻な不快感や不安感を引き起こしているのではないか。(略)これまで、女性が相手とどのような関係を望んでいるのか、相手に女性として扱ってほしいと思っているのか否かといった女性の側の意志や希望とは無関係に、女性を性的対象として捉え、性的に扱うという行動が社会的に許容されてきた。

確かに。

ステレオタイプな女性役割を期待されることは自分的に本当に面倒臭くて、そおいう場から極力距離を置いていたいのですが、逆に、男性に対して同じようなことをうっかりやってしまいそうな危険度も高そう。特に年をとってくると、年下男性にそおいう権力を振るってしまう危険度が高いんですよね…気をつけたい…汗

そして、

性(ジェンダーとセクシュアリティ)に関する慣習的コミュニケーションへの異議申し立てが、それを問題だと思わないと主張するポストフェミニスト女性の声によって無効化されるようなことがあってはならない。多様化する女性のなかの一つとしてポストフェミニスト女性の声もまた尊重されるべきではあるが、女性の不当な慣習的扱いを問題だと思わない女性がいるからといって、それらの行為そのものが問題でない(気にするフェミニストの方がおかしい)ということにはならない。

という言葉に非常に同意。

ちなみに、そのほかの論考を通して、資本や国家によって「女性の地位向上」が奨励される社会状況が「ポストフェミニズム」で、それはネオリベラリズム経済に絡め取られており、女性を従属化すると同時に「女性の活躍」を推進するという複雑な権力作用が展開されている、とあり。

ネオリベラリズムにおいて勝者である、仕事で成功した女性がもたらすエンパワメント(力を与えること)って、「頑張って成功すれば、あなたにも自由が手に入る」というメッセージに尽きるというか。じゃあ、そういったところから排除されている女性(例えば非正規労働の女性とか)は、どうやってエンパワメントされれば良いのだろう。

なんてことを考えながら読んでいるときに、ちょうどNetflixで『FOLLOWERS』が配信スタートしたので見てみたのですが、

これがもう、考えどころ満載でした…。勝者が勝者でいるべく敗者の欲望を煽るという部分もあるし、力を手に入れた女性の爽快感もあるし…主人公の奈良リミという人物像からエンパワーメントされる人って、今どのぐらいいるのだろう?

女性の生き方をエンパワーメントするならば、私はめっちゃ草の根で選挙運動を繰り広げたAOCなど4人の女性新人候補者を追ったドキュメンタリー『Knock Down The House』の方が好きだな。

とはいえ、私は、『FOLLOWERS』の脇を固めたサニーやあかねには、とても好印象を持ちました。特に子どもも結婚も希望しないあかねと、彼女がプロデュースする歌手のSayoの関係性は良かったなあ。

「この人のこれからを見ていきたい」と思える相手と共に、何かをつくり冒険していくことを選んだあかねの、「結婚でも恋愛でもない」パートナーシップの話だった気がするから。

話戻り。

やっぱり自分的には、たとえ華やかな世界の話でも、頑張って成功して得た権力を自身の自由な選択に使う貪欲な強さ系の話はもう良いので、これからは社会構造を変える方向に権力を発揮する類の女性の強さを見てみたいなあ。

 

そろそろ力尽きてきましたが、最後にこれだけは。

“キラキラ”と“その後”のためのフェミニズム / 貴戸理恵+鈴木涼美

こ れ が も う 高解像度な内容で凄かったです…。特に、ある主体性の発揮の仕方について「それがいつまで持続可能なのか」という視点には、本当にハッとしました。

どうであれ、どんな人のどんな「その後」もサバイブできる社会構造に変えていく運動は、大切だな。

対談の最後に貴戸さんが「自分にとってリアルなかたちで使えるフェミニズムを各々が定義していくことで、その底流に何か共通のものが事後的に見出されていくのかなと思います」と話していて。

私にとってはなんだろう、「自分の意思に反したことを、しなくても良い社会」を目指すことかなあ。

特集最後には、女性視点の日本近現代史年表が掲載されているのですが、改めて振り返ると本当にひどくてげんなりしつつ…それでも上の世代の人たちが声をあげて運動してきてくれたから、少しずつマシになってきているわけで。(それでもジェンダー・ギャップ指数121位…。昔の酷さってどんぐらい…)

いろいろ勉強しながら、身近にいる活動家の人たちに混ざれるところは気軽に混ざっていこうと思った読書体験でした。

ふー。

(編)

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

Spam Protection by WP-SpamFree