自分の場合、元々物語に惹かれて演劇を見るようになったわけではないので、今でも、物語はあくまでも演劇を構成する要素の一つ、ぐらいの受け止め方であります。

先日からたびたび話題に出している『光のない。』(作:エルフリーデ・イェリネク)ですが、会場で配布された冊子の中で、演出された三浦基さんが

「イェリネク作品が難解なのは、物語がわからないからである。この作家は物語を捨てている。では何を書いているのか。」という感じで、興味深いことをいろいろと書かれておりまして。

「物語による劇の推進を前提とした場合にイェリネク戯曲は難解なのであって、我々はそこから自由でなければならない。」

とか。

実際、観劇から数日経った今も、言葉は耳から離れず、あのときの舞台上の光景がずっと頭にあるわけですが、感想ツイートの中には「現代演劇の頂点」という言葉もあり、思いがけず最先端体験。

とは言え、

舞踊評論家の乗越たかおさんも、著書『ダンス・バイブル コンテンポラリー・ダンス誕生の秘密を探る』で

「『最先端』は、鋭いが、狭い。『真ん中』が一番豊かなのです。」とおっしゃっております。

(ちなみに、この本とても面白いのでお勧めです)

結局は、自分たちのつくりたいものをつくる、ってところしかないと思うのですが、

演劇の数ある構成要素の序列は自由に組み替え可能、と頭の片隅に置いておくことで、今までとは別の回路が開けるかもしれません。

そして仮に、動員が自由な創作の足かせになっているのだとしたら。

「たくさんの人に見てもらう」ってことだけを考えるなら、発表の場が地元じゃないといけない理由はないわけで、例えば大きな演劇フェスの公募プログラムに応募してみるとか、その辺も何か別の回路があるような気がするのですけど、どうなのでしょ。

自分が(演劇に限らず)何かに足を運ぶのは「知らないものに出会いたい」というのが大きいので、つくり手は観客のことなど一切考えないでいい、と個人的には思ってしまうのですけども。

という、脳内の途中経過でした。

(ちなみに、前回の脳内の途中経過はこちら

(編)

 

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