先週末見てきたハイバイの『て』。
の前に。
『風の旅人』復刊第2号で、丸山健二さんがインタビューに答えて「家庭や家族は、束の間の形態にすぎず、いずれ親は親の世界へ、子は子の世界を生きていく定めにあり、どんな生き物でも、そうやって、それぞれの生の見事さを保っている」とおっしゃっており。
(親子関係に関する彼の考えは、自分にとってとても自然なものだった)
「家族だから●●だ」という感情をまるきり持ち合わせていない自分、ということが大きい原因だと思うのですが、『て』がびっくりするくらい自分に引っかかるものなく過ぎてしまって、その事態にとまどいました…
いや、作品自体は、各地で絶賛されているとおりしみじみ良いものだったと思うのです。めちゃ笑えたし。紹介記事に書いたことは、やっぱり生で見てもその通りだったのですが。
でも、多分、彼ら(というか岩井さんかなあ)の作品に対する徹底した客観性?慎重に距離を置いている(それは何となく、アフタートークからも感じたような)、その距離が
ただでさえ「家族」にピンとこない自分が作品と深く対話するには、少し離れ過ぎていたのかなー。DVDと違って、その場で見たからこそその「距離」を感じることができたわけで、逆にそれにもとまどいました…
例えばブログなんかにも、「この人、慎重に物事から距離を置いて書いているなあ」と感じさせる文体があり。それは「押し付けがましさがない」という点で、スッと頭に入ってくるし、何だか信頼できる、気がする。
こちらに考える余地をたくさんくれますしね、そういう文は。
でも、あまりに相手が慎重だと、ちょっとボロを出すところも見てみたくなるというか、剥き出しの言葉を引き出したくもなるのだなあ。
と、勝手なことを言いましたが、『て』は完成されていたし、ああいう作品を札幌で見れたことにも感謝。
ので、ハイバイにはまたぜひ札幌に来てほしいな、と。
今度は違うテーマの作品を見てみたい、と強く思いました。
(編)

 

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