『ハンナ・アーレント』シアターキノで見てきました。

凄い映画でした。
フランスの収容キャンプから脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人のハンナ・アーレント。
その後、政治哲学者として高い評価を得た彼女は、1961年にイスラエルで行われたナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判レポートをザ・ニューヨーカー誌に発表。
証言によってもたらされた事実から思索し、彼女が出した結論は、同じユダヤ人である昔からの友人たちにとっても堪え難いもので、国際的にも大論争を巻き起こします。
「ナチスによる人類への犯罪行為」のすさまじい重さも、
「ユダヤ人指導者は、ナチスへの抵抗と協力の中間の位置にいた。しかし、他にとるべき道はなかったのだろうか?」という問いの重要さを信じ、大バッシングが予想されるにも関わらず発表することの重さも、
膨大な量の誹謗中傷がされる中、公の場で説明する毅然とした態度の重さも、
2時間の間、ずっと手を握りしめていたぐらい、本当に胸に迫ってきました。
あそこまで真剣にスクリーンを見つめたことは、初めてなのではなかろうか…いやはや。
あんまり「べき」という言葉は使わないようにしている自分ですが、本作は「見るべき」映画だと思います。(上映時間はこちらをどうぞ。)
それにしても、
誹謗中傷に関して、アーレントが「彼らは私に過ちを認めろと言うけれど、その過ちが何なのかは誰も説明しない」と口にするのだけど、「過ち」と言ってしまうのは感情がそう言わせるのだろうな。
思考する、ということは、その対象に対する感情的なものを慎重に排除した中で行われる作業だと思うのですけど(というか、そういう感情的な経路がなぜできるのか、その背景も考える)、そこから導き出されたものを大多数の人は感情とともに受け取るわけで。
この辺難しいところだな、と。
もう一つ余談ですが、最近読んだジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』では、
「収容所で犯された残虐行為を前にして立てるべき正しい問いとは、人間に対してこれほど残酷な犯罪を遂行することがいったいどのようにして可能だったのか、といった偽善的な問いではない。
それより真摯で、とりわけさらに有用なのは、人間がこれほど全面的に、何をされようとそれが犯罪として現れることがないほど自らの権利や特権を奪われるということが、どのような法的手続きおよび政治的装置によって可能になったのか、
これを注意深く探求することであろう。」
と。
この本で言われる「剥き出しの生」に震えました…
ハンナ・アーレントの全体主義のことも何度も出てくるので、やっぱり読んでみよう。
(編)
 

 

2 Responses to 【必見】『ハンナ・アーレント』

  1. エゾ三毛猫 より:

    「ハンナ・アーレント」を見たあと、
    関連書籍をとりあえず読みあさり
    ひたすら空白を埋めていくことを
    しています。
    映画を見ただけでは埋まらない
    事象をどこまで見いだせるのか
    真実の扉は誰にでも開いていて
    ひたすら最終目的地が見えず。
    寒い日が続きますが、くれぐれも
    ご自愛の程を。
    猫、元気ですか?ウチのはもう
    ストーブの前で、ゴロンゴロロン
    ひっくり返ってます。

  2. (編) より:

    お久しぶりです!関連書籍で「これも読んでおいた方がいいよ」ってものありましたら、お時間のあるときにチラチラッと書いて頂けるとうれしいです!
    猫コメントを見て、この2つ後のブログ最後に、猫写真のっけてみました(笑
    ストーブの前は、我が家の猫もつきっきりです。

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