クラアク芸術堂のメンバーが立ち上げたグループ・ユニットの一つで、代表の小佐部明広さんがディレクションする「プロト・パスプア」。

第5回公演『遮光』をレッドベリースタジオで見てきました。
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中村文則さんの原作は読んだことがなかったのだけど、お先に本公演を観劇していたTGR元審査員仲間の本間恵さんと岩﨑真紀さん(TGRで3人揃ったのは2014年)のやりとりを見て、興味が湧いた次第。
あとプロト・パスプアとしての公演ではないのだけれど、小佐部さん作で、『遮光』にも出演されていた宮森峻也さん(クラアク芸術堂)とメイケ祥子さん出演の短編『命の漂泊』(シアターZOO企画公演『女と男、座面と境界』内での上演)を以前拝見し、役者さん共々強く印象に残ったことも足を運んだ理由の一つです。

結論から言うと、久しぶりに、小さな場所で、少ない観客とともに、異質な世界を目撃したときの、「これきたーーーー!」という高まりを味わえる上演でした。そおいうときって、ニヤニヤしてしまうんですよね。
原作について検索すると感想に並ぶ「狂気」や「暗さ」は、多分、小説を読めば文字ならではの純度で迫ってくるのだと思うけど
演劇として目の前で「私(男子大生)」を見た昨夜は、虚言癖も肉体の一部を大切にとっておきたいという願望も、それが「なぜ」なのかが伝わってきたせいか、
自分の感想としては狂気でも暗さでもなく、自分と地続きの、ちょっと歯車がズレただけの人生であるように思えました。
以前小佐部さんには、編集を担当している札幌市教育文化会館の広報誌「楽」でインタビューをしたことがありまして、その中で

自分と異なる世界に生きる他者のことを、人々はもう少しわかった方がいいと思っていて。人は条件次第で良くも悪くもなるのに、ある人が犯罪や貧困に至るまでの経緯について想像できず、「自分とは違う人間」と線を引いてしまう。「誰だってそうなり得る」という想像力を持ってほしいし、社会の分断を解消する役割が、多分演劇にはあると思う。

と話しており。(インタビューでは中村文則さんの小説との出会いについても語っているので、気になった方はこちらからどうぞ

本作では、ここで語られていたことがとてもよく感じられるなと。

あと『命の漂泊』ではしんどさだけが残って、それに対して私は「抗うための作者の一筋の意思がほしい」と書いたのだけど、

『遮光』における、自分にとってのそれ

宮森峻也さん演じる「私」が、メイケ祥子さん演じる「郁美」に、実は美紀がもう死んでいること、そして瓶に入っているのは彼女の小指であることをまくし立てるシーンの

じっとそれを聞く「郁美」のまなざしでした。

「救いのない人生」って言葉をたまに目にするけど、私は人が生きているどこか一瞬には必ず「救い」の瞬間はあると思っていて、本作で言うなら、異質なものをジャッジせずに相手の言葉をひたすらに聞いているときの、あの郁美のまなざしだと思うのです。

最終的に悲しい結末になったのだとしても、あの瞬間は「私」にとって救いだったのではないかと思うと、簡単に誰かの人生を「救いがない」なんて言えないし、現実世界でそんな一言で片付けられてしまう「あったかもしれない瞬間」を、丁寧にすくい取って見せることが、演劇の役割なのかもしれないですねえ。

プロト・パスプアは、今後も見てみたいなと思いました。

あ、あと帰宅後にチラシを見たら、活動支援金として寄付を募っていたことを知りまして。特に口座情報とか載ってないので、受付に寄付箱とかがあったのかな?

しばらく追ってみたいと思うので寄付してもいいなと思うけど、例えば自分的には、予約時に寄付オプションがあって、いくらをチケット代に追加して払うかお伝えして、受付精算のときにまとめて払って領収書をもらえる感じだとありがたいなー。

寄付箱への投げ銭システムだと、小銭や細かいお札がないとできないですし、あんまスマートじゃなくて今ひとつ…。あと口座への振込も、わりと面倒で相当強いモチベーションがないとなかなか…。

あ、本公演は、残すところ本日8日の16時から。上演時間は85分です。お時間合いましたらぜひ〜。詳細はこちらから

(編)

 

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