前回の続きで、

11/26(木):Mariusz WILCZYNSKI『Kill it and Leave This Town』

新千歳空港国際アニメーション映画祭、長編部門審査員特別賞受賞作。11年の制作期間を経て完成ってすごい。11年!

人間が人間以外の生き物(魚や蜘蛛)に入れ替わると、生のサイクルが途端に破壊的で残酷なものに見えてくるけど、実際、人間だってその破壊的なサイクルから免れた存在じゃない。(と、検死後に死者のお腹を縫い合わせて、安置所で保管されるシーンを見て思ったり。最後に出てくるガリヴァー旅行記のような児童向けの物語だって、そういう残酷さに溢れていますしね。)

作品紹介のところだけ読むと一瞬優しい世界かと思ってしまうけど、わりかし淡々とした残酷さを持って進んでいく世界でした。

余談ですが、冒頭暗闇の中に赤い火の玉のようなものだけがチラチラ見えて、これ男性が暗闇の中で煙草を吸っている描写なのですけど、ちょうどこの日の朝に読んだこの記事で「怪しげに微発光しながらゆらぐように近づいて来る」カトリーヌ・ドヌーヴのことを読んでいたので、あ、こういう感じ!と妙に納得。リンクリンク。

11/27(金):『アイヌモシㇼ』@シアターキノ

例えば決して単一の日本人像は存在しない(当たり前だけど人間は一人一人違うから)し、その考え方もバラバラであるように、単一のアイヌ像だって存在しないし、何を重んじるのか、何を選んでいくのか、考え方も行動もさまざまだ、ということを教えてくれる映画。

当たり前のことなのに、無意識に「アイヌ」と一括りにして考えてしまいがちな思考回路に気づかされるな…。

ただ、「何を重んじるのか、何を選んでいくのか、考え方も行動もさまざま」ではあるけれど、その過程で、多数派(和人)なら全く意識することはないであろう負荷がかかる(ように和人がしてしまった)のだなあ、とは思う。

それに対して自分が100%想像できるかと言えば、できないのだけど、こういう映画を通して、いろんな違いやそれぞれの選択があることを「知る」ことはできて。

その機会は今までの自分に圧倒的に足りていなかったことで、だからこの映画は貴重だと思ったし、もっといろいろ描かれていくと良いなと思いました。

あと、劇中描かれていた儀式のような、自分がこの世界で生きる上で拠り所となる信仰が、自分に果たしてあるだろうか、と聞かれたら、ない。のだけど、じゃあ代わりに自分は、何を拠り所としているのかなあ。

信仰を「世界を理解し、自分と世界を接続するためのもの」と考えると、自分にとってそれに代わるものは芸術と、それを書き記すことなのだけど、これを信仰と同義に考えていいのだろうか。うーん。

全然話変わり

劇中、TOBIU CAMP 2017(のブログはこちら)のウポポ大合唱でやたらと足腰にきた「バッタの踊り」をしていて、「そのきつさ知ってる!」ってなりました。

世界には「私のもの(こと)ではない」事象が溢れているけれど、生きていろいろ経験する中で、「私のもの(こと)ではないけれど、想像できる」事象が増えていく。

そうすると、世界がまた違ったものとして見えてくる。

なんと素晴らしい循環!

というようなことを徒然と考えながら帰った次第。

長くなってしまったので、一旦ここで。

夜の部からは次に書きまーす。

(編)

 

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